8月最後の週のアーキタンツのジャイロキネシスはコンテンポラリーダンサーでジャイロキネシス&ジャイロトニックトレーナーの今津雅晴さんのクラスでした。ゲストとしてたまにクラスをお願いしています。
ゆったりとしたムーブメントの流れに乗っていくことで、みんなの身体がナチュラルな良い状態に引き戻っていくのがジャイロキネシスの特徴です。ジャイロのクラス中の、みんなが身体を感じている空気感や、クラス後の身体の変化による心のハッピーさが何ともいえません。
「あ、順番忘れちゃった」なんて言いつつも、まささんの身体がまるでダンスを踊っているかのように自然に繋がって動き続けているから、そんなことも気にならず、この振りいいね!なんて思って思わずついて行っていました(笑)マニュアルの順番通りが目的じゃなくて、こうやって身体と呼吸をつなげて、身体を目覚めさせることが目的、それがジャイロなんじゃないかしら・・・?
トレーナーとして勉強すると「マニュアル通り」の枠にとらわれがちになるときがあり、バレエの「ポジションに入る」の枠にとらわれるのと同じ感覚に陥る時があります。もちろん、マニュアルもポジションもすごく大切!!!ベースがなかったら良さがなくなってしまう。だから一生懸命学ぶけど、とらわれすぎてがんじがらめになると、また、違う。まささんの動きは私のそんなしがらみを打破してくれる感じがあります。
それは、私のベースであるバレエの「ポジション」という大前提と、コンテの「自由なムーブメント」という大前提の違いに通じるようなものがある気がします。
ダンサーは動きを通して、何かを表現しようとしていてテクニックやクラスレッスンはそのためのベース。それが目的、最終形でなく、その先がある。何を表現できるか。何を伝えたいか。役柄を演じるっていうことは?踊ると言うことは永遠のテーマがあるんだわぁ・・・終わりがないと感じる今日この頃。それはそれでステキなことかもしれません。
11月8日、「緋文字」の主役へスターという役を踊ります。写真のチラシです。ストーリーが純クラシックバレエで展開されます。(みなさん、よかったら是非見に来て下さいね!)
まささんは9月に冨士山アネットの「ヴォイツェク」に出演なさるそうです。演劇バージョンとダンスバージョン、という面白い試みのよう。「ヴォイツェク」はオペラがある、というぐらいの知識しかありませんが、ドイツで起きたある殺人事件を元に書かれた、200年前に生誕した文学作品。(なので、9月はまささんクラスはお休みです。)
ただ、美しく、ただ格好良く、ただ音楽に乗っかって身体を動かすだけじゃない。何かを伝えて、何かの感情を劇場で観客と共有する。
踊りは、振付は、いろんな可能性がある。それが舞台芸術としてのダンス。
もしかしたら、この世で最もくだらない、最も非生産的な、最も腹の足しにもなんないことをしてるのかもしれないな、でも、人はそれをやめられないんだよね・・・と、そんなことを思う、秋を感じる日でした。
